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南京市内観光

再びタクシーで他のツアー客を追いかけます。市の西北側を長江(揚子江)が流れています。南京長江大橋は、揚子江の最下流にかかる橋で、ソ連の技術援助で工事を始めたものの、中ソ関係の悪化によりソ連の技術者が引き揚げてしまったため、文化大革命の最中に中国が自力で完成させたものです。上層が自動車(歩道もあります)、下層が鉄道の2層構造となっています。対岸まで4km以上あるそうで、霞んでいます。

南京長江大橋 下層が鉄道 孫文の墓である中山陵

市の東部に孫文の墓である中山陵があります。屋根瓦の独特の青は国民党の色です。共産党と厳しく対立した国民党ですが、辛亥革命を第1次革命、中華人民共和国の樹立を第2次革命と位置付け、共産中国における孫文の評価は高いと見受けました。

 


列車で上海へ

わずか半日の南京観光のあとは、上海に戻るため南京駅にやってきました。向かいのホームにはサボに、はるか“哈爾浜”の文字をつけた列車が入線してきました。中国の広さを実感します。305次直快は、南京→上海間に5時間15分を要します。往路の上海→南京間の合計乗車時間は4時間半以下ですので、2次旅游が速いことがよくわかります。

南京駅で上海行き305次直快 途中駅で対向列車

汚れた窓ガラス越しの撮影ですが、南京−上海間の車窓から見かけた当時の中国国鉄の車両をご覧いただきます。

 
建設型蒸気機関車   石炭車主体の貨物列車

貨物列車と頻繁にすれ違います。当時の(今でも?)中国のエネルギー源の中心は石炭でした。貨車には石炭車が多いようです。

レールバス? 夕闇迫る上海近郊の貨物列車

 


旅のヒント

1991年当時の中国は、よい意味でも悪い意味でも社会主義を色濃く残していました。一流ホテルでも、設備は立派だがメンテナンスが悪いためかどこか不具合があることや、デパートに行っても、店員は売ってやるという態度など。一方、予定にない南京大虐殺の記念館を、ガイドを1人つけて案内してもらったにもかかわらず、入場料とタクシーの実費以外はお礼をしようとしても受け取ってもらえませんでした。実費分も、領収書を示して、外国人料金で高くてすみませんと言いながら。4年後に再び中国に行ったときは、何でもお金が第一に大きく変化していました。客を土産物屋に案内してバックマージンを取るやり方など、台湾や香港と同じシステムが確立していました。同じようなコースの場合、今では当時の半分〜1/3の料金ですから、当時のようなやり方では経済的に成り立たないのでしょう。

列車の旅の必需品といえば時刻表でしょう。毎月発行される日本と違い、中国では年に2回程度の発行だそうです。駅の売店で時刻表を入手しようとしたのですが、蘇州、無錫、南京のいずれも売り切れとのことでした。中国では日本円で100円以下で入手できる時刻表ですが、日本で買うとその10倍です。でも、2度目に中国に出かけたときはあらかじめ神田の中国書籍専門の東方書店で購入して、日本から持っていきました。

列車の車内では、お湯は無料で配ってくれます。湯飲みに入ったお茶は有料です。中国ではお茶の葉を湯飲みに直接入れて、その上からお湯を注ぎます。カップとティーバッグを持参した方がよいかもしれません。

 


お役に立つリンク集

これからお出かけになる方や鉄道ファンの方に役立ちそうなリンクをそろえました