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“オーストラリア ベンディゴトラムウェイ車庫見学”

オーストラリア大陸南東部、ビクトリア州の州都メルボルンから北北東に直線距離で131kmに位置するベンディゴは、人口10万人の州内第四の都市。19世紀にヨーロッパからの移民による開拓がはじまり、金の鉱脈が発見されるとゴールドラッシュに沸いた街。旧市街の建物には、今もその繁栄の名残をとどめています。

メルボルンのサザンクロス駅から、Vラインと呼ばれる州営鉄道でベンディゴ駅まで営業距離164km、所要時間は2時間10分ほど。

▲ Vラインのディーゼルカー

ベンディゴトラムウェイズの公式ホームページによると、ベンディゴ市内にトラムが登場したのは1890年。バッテリー駆動の車両で運行を開始。今なら最新型でも、当時のバッテリー駆動では路線のこう配に対応できず、わずか3か月で運行停止。1892年には、ベンディゴトラムウェイズ会社が蒸気動力のスチームトラムで運行を開始。電化して、電車が走り始めたのが1903年。

第一次世界大戦後に、準政府機関であるビクトリア州電力委員会が買収して、州内のバララットやジーロンとともにベンディゴのトラムを運行してきたが、赤字のため1970年に民間のバスへの置き換えを決定。1972年にトラムの通常運行を廃止。同年から一部の路線を残して、観光用にビンテージカーを運行して現在に至ります。

現存の路線は、市の南西部にある金鉱跡の博物館 Gold Mine から、古い街並みが残るヴィクトリア朝時代の歴史的建造物が多い旧市街を経て、ゴールドラッシュの時代に多くの中国人労働者が滞在していたことから中国仏教寺院の残る北東郊外の Joss House の間、片道所要21〜22分。10時から16時まで、昼休みを除いて30分間隔の運行です。

▲ 旧市街を行くメルボルンのE型44号

Vラインのベンディゴ駅から徒歩10分ほどのところにある Charing Cross の電停にやってきたのはポール集電の木造ボギー車44号。動態保存されている15両について、公式ホームページで概要が紹介されています。それによると、44号は1914年に南オーストリア州の州都、アデレードで製造されたメルボルンのE型で、1951年にベンディゴに譲渡。2010年に、製造当時のメルボルンの姿に復元したもの。

▲ 中央3ヶ所の出入り口 付近がクロスシートで前後の室内がロングシート

当時のメルボルンのボギー車で一般的な、中央3ヶ所に扉のない出入口部分がクロスシート。台車の上部で一段高くなった客室部分がロングシートの座席配置。車輪径の大きく異なる Brush 22E 型マキシマム台車。大阪市電の保存車履いている米国のブリル22Eと同型。ブリルの図面で英国の Brush が製造したらしい。モーターは出力65hp×2台。

▲ 車輪径の異なるマキシマム台車 Brush 22E

運転士に尋ねると、乗車券は車内では販売せず、終点の Gold Mine にある金鉱博物館の受付で購入とのこと。観光用なので1回券は無く、AU$18(1AU$=80円として約1400円)の1日券のみでちょっと高い。途中の分岐線の先にある車庫兼ワークショップの見学も、この料金に含まれています。

Gold Mine で発車を待つ369号は、1929年製アデレードのH型。片側の屋根上にトロリーポールを装備しているものの、シングルアームのパンタグラフで集電。両端のドアは両開きの4枚折り戸で外開き。台車は郊外電車のようなイコライザー式で、モーターは65hp×4台。

▲ アデレードの369号

2006年にアデレードから、わずかAU$1(80円)で購入したけれど、輸送に数千AU$、改修にAU$17000を要したとか。車内には中央に仕切りがあり、その前後とも転換式のクロスシートで、ドア付近はロングシート。

▲ 車内は転換式のクロスシート

運転席の制御器はPC5L2。同世代の阪堺電軌161型とよく似た間接非自動式のよう。この369号にはないものの、シドニーのトラム博物館にいたアデレードの同型には連結器を装備していて、総括制御に対応しているようです。

▲ 369号の運転席

もう一方の終点、Joss House で発車を待つ302号は、1925年米国ブリル製2軸車のバーニーカーの左側通行バージョン。ブリル79E1型の台車にモーターは25hp×2。アデレードのトラムが導入し、1936年にメルボルン郊外のジーロンに譲渡。1947年にベンディゴに来てから1972年の廃止まで稼働。集電装置は1本のポールで、終点では運転士がポール回しで向きを変えます。

▲ 2軸車302号

ワンマン運転用に、ドアは前方運転席の横に1個所だけ。車内は転換式のクロスシート。

▲ 車内は転換式クロスシート

運転席の右側にも座席があるけど、これは車掌がいないので進行後方になる時に使うのでしょう。ドアの前には、乗降に使用しない進行後方時に使える、折りたたみ式の座席も装備。

▲ 302号の運転席

分岐線の終端、トラム車庫前の302号。入出庫以外に分岐線に入ってここに立ち寄るのは Joss House 行きだけで、Gold Mine 行きは表のメインストリートを通過。

この日に稼働していたのは、44号、369号、30号の3両でした。

▲ トラムの車庫前の302号

1日乗車券でトラムの車庫を見学できるけど、立ち入れるのは右側の建屋だけ。車庫の奥は、車両の改修や整備を行う工房になっていて、その手前まで。その部分に留置中の車両は、車内まで入れます。

▲ 車庫の全景

正面にベスチビュールのない8号は、ベンディゴトラムの電化時に導入した12両のうちの1両。ブリル21E型台車にモーターは25hp×2。

▲ ベンディゴトラム電化当時の姿に復元した8号

1903年にアデレードで製造。1947年に廃車になるまでに、運転台回りの客室の密閉化等の大きな改造を受けていて、2001年から2012年までかけて1903年当時の姿に復元されたのだとか。米国サンフランシスコのケーブルカーのようなスタイルです。

▲ ベンディゴトラム8号

もう1両、車庫の外に出ていたのは880号。複数の事業者が運行していたメルボルンのトラムをまとめて公営化後の標準型として、1923年から1956年まで間に大量生産されたW型。33年間にわたるため、途中でマイナーチェンジが繰り返され、W型、W1型からW7型まで、主に自社工場で750両以上が製造され、メルボルンの主力として活躍。外観上の大きな差異は、W3型以前は運転室の幅が狭く、W4型以降は運転室が車体幅まで広がり、軸箱の下に重ね板バネの軸バネのある自家製の独自構造の台車。SW6型(Sは車体中央部の出入り口にスライド式のドアを表す)以降は車体中央部2個所の出入り口に引き戸を設置。

現在本家のメルボルンでは、市の中心部に設けたトラム無料区間の外周に沿って運行する、35系統のシティーサークル専用車として、SW6型以降の車両の外観はそのままで更新工事を施工したW8型のみが運行中。

880号は、1942年にメルボルンのMMTB(メルボルンメトロポリタントラムウエー委員会)の工場で製造されたSW6型で、ベンディゴには2005年に入線。台車はMMTB No.15、モーターは40hp×4。集電装置はメルボルン当時にトロリーポールからシングルアームのパンタグラフに換装。2014年に、ベンディゴに新しいホテルのオープン記念して、アーティストの手で車体や車内の天井に絵が描かれ、動くアート作品になりました。

▲ 880号はメルボルンのSW6型

内部に立ち入り見学できる右側の建屋から顔をのぞかせている7号と45号。狭い庫内に車両が押し込められているので、広角レンズでも画面に入りきらず、撮影に苦労します。

▲ こちら側は庫内の見学可

2軸車の7号は、1915年にニューサウスウエールズ州のシドニーで製造されたメルボルンのトラムJ型76号で、ブリル21E型台車にモーター出力53hp×2台。1930年代にメルボルンの西北西100kmほどのところにあるバララットに譲渡され、19号として運行。1960年代にベンディゴに移り、1972年の廃線まで7号として運行。

▲ 7号はメルボルンのJ型

ホームページに記載はないものの、今はオリジナルのスタイルに復元された8号や次の19号の現役時代と同様に、運転席後部はオープンスタイルであったものに、改造で窓ガラスはないものの側壁と内側に開く扉を取り付けたものと想像します。

▲ 運転席後部の側壁と扉は後付?

7号はクラウドファウンディングでAU$35000以上調達できたので、これで修復を行い2017年から運行を開始したそうです。

▲ 7号の車内

45号は、44号と同様に1914年にアデレードで製造されたメルボルンのE型で、Brush 22E型マキシマム台車にモーター出力65hp×2台も同じ。1951年にベンディゴに譲渡。1952年にワンマン化されたけど、労働組合と合意できなかったのか、廃線までワンマンで運行されることはなかったとか。

▲ メルボルンのE型45号

車体の中央部の出入り口を塞ぐ改造がなされたようで、客室に2ヶ所の仕切の跡は残っているものの、床面の高さは揃えられてオールロングシート。下降式の窓枠に付いた革のベルトは、窓を閉めるときにこれを持って引き上げるために使うらしい。

▲ オールロングシートになった45号の車内

45号の運転席には、大きなGEの直接制御器。

▲ 45号の運転席

2軸車の19号は、1917年にアデレードで製造されたメルボルンのトラムM型で、第一次世界大戦後の物資不足で電気部品が入手できず、1920年になってから183号として運行を開始。ブリル21E型台車にモーター出力53hp×2台。1935年にベンディゴに譲渡され19号に。1972年に観光用ヴィンテージカー4両で運行を開始した時のうちの1両です。

▲ 19号はメルボルンのM型

運転席にはGEの直接制御器。

▲ 19号の運転席

運転席は、その後ろのオープンスペースの客室と仕切られて独立。間の壁には優雅なステンドグラスも。

▲ 19号の運転席と客室の仕切

オープンスペースの客室は向かい合わせの座席。その後ろが車体中央の客室への乗降口。

▲ 19号のオープンスペースの客室

車体中央部の車内はロングシート。

▲ 19号の車内


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