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“ドイツ ダルムシュタット・クラニッヒシュタイン鉄道博物館”  


フランクフルトからダルムシュタット・クラニッヒシュタインへ

ドイツ経済の中心地、日本からも複数の直行便が着くドイツ中西部のフランクフルト・アム・マイン。フランクフルト中央駅から南へ30km、ローカル列車RBで20分ほどでダルムシュタット中央駅。ここで乗り換え2駅目、ダルムシュタット・クラニッヒシュタイン駅の裏に、ダルムシュタット・クラニッヒシュタイン鉄道博物館があります。ボランティアベースで運営されているのでしょう、開館は12月下旬のクリスマス前から年始の期間を除く日曜・祝日10時〜16時。

2019年のゴールデンウイーク。当日の夜便で帰国するので遠出は危険と思い、日曜日だったので朝からダルムシュタットに向かうことに。フランクフルト市内とダルムシュタット市内、それに加えて空港までのドイツ鉄道や地下鉄Uバーン、トラムやバスで使える1日乗車券が、ドイツ鉄道DBの券売機で売っていない。インフォメーションで聞いてみると、中央駅の頭端式のホーム入り口にあるRMV(ライン・マイン運輸連合)の券売機で買うのだとか。

確かに、ダルムシュタット中央駅まで乗車したRB68系統のDBの二階建て電車の車体の裾には、RMVのステッカーを貼っています。日本と違って、1日券が異なる交通機関でも共通で使えるのは便利でいいけど、なぜDBでは売らないの。

▲ ダルムシュタット中央駅に着いたドイツ鉄道DBのローカル列車

ダルムシュタット・クラニッヒシュタインへは、中央駅からローカル列車に乗り換え、または駅前からトラム5系統で終点へ。でも、博物館の開館まで時間があるので、先に駅前からバスでユーゲント・シュティール(フランス語ではアールヌーボー)の芸術家村、マチルダの丘のに行ってから、再びバスで市の中心のルイーゼン広場まで戻り、トラム5系統に乗り継ぐことに。

ダルムシュタットの郊外に、軌間1000mmメーターゲージのトラムが開通したのは1886年。開業当時は蒸気機関車の牽く列車で、1897年には市の中心部に電化路線が開通し、1922年まで電車と蒸機列車を併用。ここにはトラム博物館はないけど、蒸気機関車や初期の2軸の電車等が動態保存されていて、街中を運行することがあるらしい。1919年製の小型蒸気機関車と復元した19世紀の客車で運行する列車が、2021年は9月の日曜日と25日の土曜日に、クラシックなトラムの運行が11月27日から12月18日の毎週土曜にアナウンスされているけど、コロナ禍で日本からの訪問は無理ですね。

▲ ルイーゼン広場でトラムに乗り換え

ダルムシュタットのトラムは、他の都市では見かけない角ばった車体の部分低床3車体連節車。多くの編成は、低床の付随車を1両牽引。しばらくして乗客全員が下車したので、終点だと思って慌てて降りたら、トラムはそのまま行ってしまった。

Google Mapで確認すると、クラニッヒシュタインはまだ先。歩けそうな距離ではないので、次のトラムを待つ羽目に。日曜の朝は運行本数が少なく、5系統の次のトラムは何と30分後。予定より大幅に遅れて、トラムの終点クラニッヒシュタインにやっと到着。

▲ 終点クラニッヒシュタインに着いたトラム

鉄道博物館は、踏切を渡った先で線路沿いの道を辿ります。遮断機が下りて、新しい部分低床の4車体連接車がダルムシュタット中央駅方面に向かいます。

▲ ダルムシュタット・クラニッヒシュタイン駅を発車する電車


ダルムシュタット・クラニッヒシュタイン鉄道博物館

アイゼンバーン・ムゼウムの看板の出ている門から構内に入ります。ここは、もと機関区の扇形庫とターンテーブル等の施設を使い、1976年からボランティアで運営していて、200両以上の鉄道車両を所有し、そのうち40両は動力車だとか。

▲ ダルムシュタット・クラニヒシュタイン鉄道博物館の門

切符売り場は左手の建物。食堂のようなテーブルと椅子の並ぶ部屋の奥の受付で入場券を購入すると、ガイドツアーによる見学らしく、若い男性が案内してくれます。でも、彼が話すのはドイツ語だけ。さあ困った。

▲ 鉄道博物館の受付

表に出ると、蒸気機関車のボイラのカットモデルがあり、10数人の見学者にボランティアがドイツ語で説明中。

▲ 蒸気機関車のボイラのカットモデル

案内の若い男性はその横を通り過ぎ、腕木信号機の先の扉の鍵を開けて車両展示スペースへ。

▲ この先が保存車両の展示スペース

線路上には客車が留置され、蒸気機関車が顔をのぞかせている古いレンガ積みの扇形庫の中に入ります。

▲ レンガ積みの古い扇形庫


蒸気機関車

機関庫の中には、かつてドイツの鉄道で活躍した何両もの大型蒸気機関車を保存展示。44型の横で、大きな犬を連れたボランティアの男性が、4人の見学者を相手に英語で説明中。私をこの英語のガイドに引き渡して、若い男性は戻っていきます。ドイツ語の分からないアジア人を、先行していた英語のガイドのところに連れてきてくれたのだと理解。

それでは、博物館の蒸気機関車から紹介していきましょう。

動輪が5軸、軸配置1Eのテンダ機、44型404号機は1941年のヘンシェル製。左右に加えてボイラの真下にもシリンダのある、3気筒の貨物機。動輪径1400mm、出力1910PS、最高速度80km/h。44型は西ドイツ国鉄に最後まで現役で残った蒸気機関車の型式で、404号機は1975年まで重い石炭列車を牽引。

▲ 44型の横で英語のガイドが説明

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▲ 44型の後ろ姿

軸配置1Dのテンダ機、56型3007号機は1929年のリンケホフマンブッシュ製。北ドイツのハンブルクからリューベック方面に路線を展開していたリューベック・ピュシェナー鉄道LBEが1929年に導入した貨客兼用機。動輪径1400mm、出力1390PS、最高速度75km/h。LBEは1938年に国有化。本機は1951年にエシュヴァイラー鉱業協会に売却され、炭鉱路線で運行。

▲ 56型3007号機

軸配置1D1のテンダ機、41型024号機は1939年のヘンシェル製。ドイツの標準型として、1936年から1941年にかけて366両製造されたうちの1両。動輪径1600mm、出力1975PS、最高速度90km/h。貨物列車に加えて、勾配区間で旅客列車の補機にも使用。戦後は99両のボイラを換装、うち40両は重油燃焼システムを備え、024号機もその1両で、1977年まで使用。テンダの上部は重油タンクでしょうか。

▲ 41型024号機

▲ 41型の後ろ姿

軸配置Dのテンダ機4981号は1913年のハノマーグ製。20世紀初頭まで北ドイツからポーランド北部を支配していた、プロイセン王国鉄道のG8型。ナンバープレートが正面になく、ボイラの両側面に取り付けられているのが珍しい。4981の下にMAINZの文字。本機はトルコ国鉄で44型079号機として運行していた1987年に、ドイツの鉄道ファンが購入して里帰り。動輪径1350mm、出力1100PS、最高速度55km/h。動態保存機で、ドイツ国内の他の鉄道博物館にも貸し出され、イベント列車を牽引しているらしい。

▲ プロイセン王国鉄道の4981号

▲ 4981号の後ろ姿

その隣で、煙室扉が開けられている軸配置1C1の23型042号機は、1954年のヘンシェル製。23型は戦後の設計で、従来のボルトとリベットから溶接による組み立てとなり、軽量化をはかった旅客用機として、西ドイツ国鉄が105両導入した最後の型式のうちの1両。動輪径1750mm、出力1785PS、最高速度110km/h。1965年までは急行列車も牽引し、1975年に引退後は静態保存されてきて、2005年に動態に復活。

▲ 23型042号

▲ 戦後の23型とプロイセン王国のG8型が並ぶ

▲ 23型の後ろ姿

ボイラを取り外して整備中で、台枠と動輪、側面の水タンクもなくなって上部構造はキャブの外板だけになった、動態保存のタンク機98型727号。左右のシリンダが前方と中央にあり、軸配置BBのマレー型。ロイヤルバイエルン州鉄道が1903年にJAマッファイで製造した2527号機が、1925年にドイツ国鉄に引き継がれて98型727号機に。動輪径1006mm、出力380PS、最高速度45km/h。1943年に引退して、砂糖メーカーのSüdzuckerAGに売却後は工場内の入れ替えに従事。1958年にはボイラを換装して、ディーゼル機関車と交代する1972年まで現役。

▲ ボイラを取り外した98型727号機

1899年から1908年までに同型が31両製造され、これらとは別にほぼ同一仕様の狭軌版のマレー型が2両、日本に輸出されたとのこと。ネットで調べてみると、日本鉄道が勾配区間の日光線や東北線の黒磯-白川間で使用した1902年JAマッファイ製の701号、国有化後の鉄道院4500型と、北海道鉄道が函館本線の山線で使用した1905年製の11号、国有化後の鉄道院4510型が該当するらしい 。

▲ 軸配置BBのタンク機98型727号機

扇形庫の奥の近づけない場所に押し込まれている古風なタンク機は、軸配置Bの1887年製。出力250PS、最高速度30km/h。ドイツ語でNr.1となっているので、英語ならNo.1、1号機関車?。詳細は分かりません。

▲ 軸配置Bのタンク機Nr.1

屋外にドイツを代表する急行旅客機、01型の後継機種01.10型56号機がいます。軸配置2C1で、1939年のベルリン機械製造製。2気筒の01型に対して01.10型は左右に加えてボイラの下にもシリンダのある3気筒で、動輪径2000mm、出力2350PS、製造時は流線型のカバー付きで最高速度150km/h。戦後の西ドイツ国鉄では、メンテナンスを考慮して流線型のカバーを撤去し、最高速度を140km/hに引き下げ。1954年には、ボイラの換装と軸受のローラーベアリング化を実施。1971年に引退。

▲ 01.10型56号

後ろに回るとテンダが取り外されていて、保存状態も良好とはいえません。

▲ 01.10型56号のキャブ

その01 1056のテンダを発見。柵があって近づけませんが、キャブとテンダの接合部分に、流線型時代の面影が残っているような。

▲ 01.10型56号のテンダ

軸配置2Cのテンダ機、38型3999号機は1923年のシャーヒャウ製。プロイセン邦有鉄道P8型で、類似型式を含め1906年から1923年に3943両も製造された当時の高性能機。動輪径1750mm、出力1180PS、最高速度100km/h。第一次世界大戦の賠償として、600両以上が周辺の戦勝国に引き渡され、現地でコピーも製造されているとか。3999号機の詳細は不明だが、ロッドが外され、ドームのカバーもなくなっていて、保存状態は良くないですね。

▲ 38型3999号

軸配置Bで、太い蒸気貯蔵装置を持つ無火機関車13号。防爆ディーゼル機関車の無かった時代には、化学プラント等の火災の危険があって火が使えないところの入れ替え作業に従事。キャブ横の丸いメーカープレートには、ホーレンツォーレン1911年製。シリンダは2気筒で、台枠の内側に装備。動輪径850mm、蒸気圧12バール時の出力200PS、最高速度25km/h。ルートヴィヒスハーフェンの化学メーカーの工場で1975年まで使用。

▲ 無火機関車13号

軸配置Cのタンク機、89.3型39号機は1901年のエスリンゲン機械工場製。1891年から1913年にかけて、南ドイツの王立ヴルテンベルク州鉄道が導入した110両のうちの1両。1925年の国有化で89.3型となったものの、1928年にはハイデルベルクのセメント工場に売却され、1968年まで稼働。動輪径1045mm、出力300PS、最高速度45km/h。ロッドが外されています。

▲ 89.3型39号

軸配置C1のタンク機、97型210号機は1893年のウイーン機関車工場製。急勾配に対応するためラックレールを敷設した、オーストリアのエルツベルク鉄道では鉱石列車を牽くため、1890年から1910年にかけて6901から6918まで、18両の歯車式蒸気機関車を導入。その中の6910号が、オーストリアがドイツ帝国に併合された1938年にドイツ国鉄に引き継がれ、97210に改番。オーストリア連邦鉄道なってからも同じ番号でエルツベルクで使われ、1978年の大型ディーゼル機関車導入によるラックレールの廃止で、1979年に博物館入り。動輪径1050mm、出力800PS、最高速度30(ラックレール区間は20)km/h。動態保存機で博物館で煙を上げている写真があるものの、訪問時にはシートが掛けられこんな状態に。

▲ 97型210号

扇形庫の裏に、アプト式のラックレールに噛み合う歯車を備えた蒸気機関車の動輪が展示。

▲ ラックレールとピニオンギヤのメカニズム

この日、唯一火が入って稼働していたのは、軸配置Dのタンク機DME184号。ドイツ各地の中小私鉄の機関車の標準化を図るため、メーカーと鉄道会社で構成するEngeren-Lokomotiven-Norms-Committee(ELNA)が6種類のプロトタイプを開発。184号はELNAタイプ6として1946年にヘンシェルが製造。各地の私鉄を渡り歩きながら1972年まで稼働。動輪径1100mm、出力715PS、最高速度50km/h。

▲ ターンテーブルを渡っていく184号

博物館の入場料とは別料金でキャブに乗車でき、構内の線路を往復。

▲ キャブに体験乗車

▲ 見学客を乗せて構内のはずれまで1往復


電気機関車

続いて電気機関車です。

E16型08号機は電気部品がBBC、機械部品はクラウス機関車工場の1926年製。これ以前の電気機関車では、車体に架装した大型のモーターから、蒸気機関車のようにロッドで動輪を駆動する方式だったが、本機は4軸の動輪のそれぞれに1台ずつのモーターを架装する方式として、最高速度を100km/hから120km/hに向上。先輪を有する軸配置は1D1で、ボギー台車は採用されずに過渡的な構造と見受けます。動輪径は1640mmと大きく、連続出力2020kW。ミュンヘン周辺で1978年まで活躍したあと、ニュルンベルクのDB博物館へ。同博物館の収容スペースの関係で、ダルムシュタットに恒久貸与。静態保存の状態は良くないですね。

▲ E16型08号

本線横の架線のある留置線に停車している電気機関車は、軸配置BBの141型228号。西ドイツ国鉄が1956年から1971年に、ローカル旅客列車用に451両投入したうちの1両で、1962年に電機部品はBBC、機械部品はヘンシェルで製造。出力2310kW、最高速度120km/h。動態保存されているようです。

後ろに連結しているのは、2軸でオープンデッキの1920年代の客車。

▲ 141型228号

軸配置CCの103型電気機関車は、在来線の国際列車TEEや都市間列車ICを200km/hで牽引した、西ドイツ国鉄のフラグシップ機。101号は、試作車4両の実績をもとに、1970年から1974年に145両増備された量産型のトップナンバーで、1970年に電機部品はシーメンス、機械部品はクラウス・マッファイで製造。出力7440kW、最高速度200km/h。インバータ制御の電気機関車の増備により廃車が進み、本機は静態保存。今では稼働できる103型は、動態保存されている量産型のラストナンバー245号だけだとか。この機関車には赤いDB色より、赤とクリームに塗り分けたTEEの客車とお揃いの塗色の方が似合いますね。

▲ 103型101号


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