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旅の車窓から

トルコ カッパドキア・コンヤ・イスタンブール

アンカラ → カッパドキア → コンヤ → パムッカレ → エフェソス → トロイ → イスタンブールにご案内します。


トルコ共和国の旅

1997年のゴールデンウイークに、9泊10日のパッケージツアーを使ってトルコを周遊しました。トルコは、西アジア北西部の共和国。下の地図にあるように、アジア西端のアナトリア(小アジア)と、ヨーロッパ、バルカン半島南東端の東トラキアからなり、北は黒海に、南は地中海、西はエーゲ海に面する共和国です。6000万人あまりの国民の99%はイスラム教徒で、各地でモスクを見かけます。

古代のヒッタイトからローマ帝国、ビザンティン帝国、モンゴルの支配などを経て、近世にはオスマン帝国が勢力を拡大した地で、世界史の華やかな舞台となり、今もその遺跡や多くの文化遺産が残されています。

日本と同様に地震多発国で、昨年も北西部のイズミット周辺で大きな被害がでましたが、外国人観光客が多く訪れるコースには余り影響はなかったようです。

最大の都市は、東ローマ帝国のコンスタンチノープルから歴史が続くイスタンブールで、ボスポラス海峡を隔ててヨーロッパとアジアにまたがる都市です。飛行機はヨーロッパ側のアタチュウルク国際空港に着陸します。

大半のツアーは以下のコース(逆回りもあります)をたどります。まず、列車か飛行機でアナトリアの中心に位置する首都のアンカラへ直行し、奇岩のそびえるカッパドキア、白い石灰のお皿のパムッカレ、ギリシャ時代の遺跡であるエフェソス、ベルガマ、木馬戦争で有名なトロイを経てイスタンブールに戻ります。イスタンブール周辺とアンカラ−イスタンブール間を除き、鉄道はあまり発達していないので、この間の移動は全てバスとなり、主な観光地の他、途中の主要な都市であるコンヤ、イズミール、チャナッカレ等に宿泊します。

※ 6ページ目の末尾にそれぞれリンク先を設けました。詳しく知りたい方はご利用ください。


首都アンカラ

イスタンブールからアンカラまで、夜行寝台列車を利用するツアーもありますが、残念ながら私たちは朝イスタンブール空港を飛び立つトルコ航空の国内線で移動してきました。

トルコの首都アンカラは、人口270万にあまりのトルコ第2の都市。第1次世界大戦後にオスマン帝国を倒してトルコ共和国を建立した建国の父、アタチュウルクが首都と定めてから大きく発展してきた街で、新市街は計画的につくられた人工の都市のイメージです。

紀元前1800年頃のヒッタイト時代から人が住み始め、アナトリア文明博物館には発掘された遺物が展示されていました。ヒッタイトの鹿の像は青銅器時代の遺物をかたどったものです。

市街地を見下ろす丘には、壮大なアタチュウルク廟が建ち、トルコの近代化に寄与したそのカリスマ性を今に伝えています。

ヒッタイトの鹿の像 アンカラのアタチュウルク廟 壮大な建造物

観光バスでアンカラ駅の近くを通りましたが、アンカラ周辺の国鉄は電化されている様です。また、市内にはミニ地下鉄も最近開通した様ですが、アンカラには半日立ち寄っただけですので、残念ながら詳細はわかりません。


奇岩の連なるカッパドキア

アンカラを後に、カッパドキアに向かいます。この地方は、火山の爆発でつくられた凝灰岩の地層が雨で浸食され、キノコ岩をはじめとする無数の奇岩がつらなって、この世の風景とは思えない風景をかたちづくっています。

この岩は軟らかいために、くりぬいて住居等に利用されています。また、ギョレメ屋外博物館になっている、4世紀頃の初期キリスト教の洞窟教会の壁や天井には、色鮮やかな聖画が描かれて現在に伝えられています。

 
カッパドキアのキノコ岩   洞窟協会の壁画

カッパドキアには、岩山以外にも広大な地下都市がつくられていました。キリスト教徒がローマ帝国からの迫害や、ペルシアやアラブの攻撃からのがれるために建設したといわれています。内部には数万人を収容でき、礼拝所や寝所などのほか、家畜部屋やワインの醸造所などもあったそうです。カイマクルに残る地下都市は観光客に開放されていますが、中に入るとまるでアリの巣の様です。