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旅の車窓から

中国 上海・蘇州・無錫・南京 編

上海→蘇州→無錫→南京 中国国鉄 列車の旅 


中国への旅は銀座の天賞堂から始まった

1991年の春に初めて中国に行きました。日本の国鉄にならってか、中国民航分割民営化で生まれた上海の新しい航空会社、中国東方航空で上海へ、そこから列車で南京まで往復しました。きっかけは銀座4丁目の模型店、天賞堂に置いてあった1枚の旅行のパンフレットです。

大阪商船三井船舶(現在の商船三井)系のエムオーツーリストのパンフレットには、鉄道ファン向けの世界各地の列車の旅が掲載されいました。中国のこのコースのウリは、無錫−南京間で乗車する双層軟座車(2階建てグリーン車)と、各駅の入場券のプレゼントでした。

今では考えられないことですが、天安門事件から1年余りの当時の中国では、外国人観光客は特別の存在でした。中国人のガイドが付き、列車は軟座(グリーン車)又は軟臥(A寝台)に中国人の倍以上の外国人料金で乗り、博物館等の入場料も中国人の3倍程度の外国人料金。外貨から両替をすると中国銀行の発行する兌換券で、一般の中国人の使う中国人民銀行発行の人民元とは別の紙幣でした。

外国の商品を扱う友誼商店では人民元は通用せず、兌換券と人民元の間には闇のレートがあり、街角では中国人が“チェンジ・マネー”と声をかけてきました。外国人の宿泊するホテルには一般の中国人の立ち入りは制限されるかわりに、外国人観光客も自由に街中を散策できる雰囲気ではありませんでした。

兌換券(上)と人民元(下) いずれも1元札

よく、十年一昔といいますが、中国沿岸部は三年一昔程度の急激な経済成長を遂げています。そんな昔の上海−南京間をご案内します。

一部に、当時の8ミリビデオからキャプチャーした映像を使用しています。不鮮明な写真がありますが、ご容赦下さい。

※ 5ページ目の末尾にそれぞれリンク先を設けました。詳しく知りたい方はご利用ください。


上海から列車で蘇州へ

上海は中国最大の都市で経済の中心です。でも、1991年当時の上海は、今では改革開放経済のシンボル的存在の浦東地区にもまだ建物はなく、地下鉄も開通しておらず、現在とは違って小さな空港でした。国鉄の上海駅も新しくなったのではないでしょうか。

上海駅(当時)軟座・軟臥乗客専用の待合室 334次直快の硬座(普通)車

午後便で上海虹橋機場(空港)に到着した一行は、私たちの家族の他にはおばさんのグループと、ある会社の社員旅行の総勢十数名で、鉄道ファンは私1人だけでした。後でわかったのですが、このコースは名鉄観光が仕入れて、京王、西鉄等何社かに卸し、その中でエムオーツーリストは自社の鉄道の旅のパンフレットに組み入れただけで、当時の中国にはまともな道路が無かったため、移動手段に鉄道を使っただけでした。

窓に白いレースのかかった軟座車 軟座(グリーン)車の車内

市内で夕食を済ませてから、19:00発の鎮江行きの334次直快に乗るため上海駅にやってきました。駅前広場の人の多いことに圧倒され、照明が少なく暗いことに驚きます。ゆったりとしたソファーの並ぶ広い待合室で休憩した後、改札を取って薄暗いホームにおりると、緑の客車が待っていました。いかにも中国という感じのレースのかかったシートの軟座車にも、当時はスーツにネクタイではなく、人民服の乗客も多く見かけました。スーツケース等の大きな荷物は車内に持ち込まず、荷物車に積み込んでくれました。

   
上海駅入場券     手荷物預かり証

サービスのつもりでしょうが、発車すると大きな音量で音楽が流れ、女性の車掌がスカーフの車内販売に来ます。それが終わると次は掛け軸を広げます。蘇州まで1時間あまり、車窓は暗闇の旅です。