双層軟座車
中国製のダブルデッカーです。一般の客車と同様に硬座車は片側4人、通路を挟んで反対側が6がけのボックス席ですが、クッションはそれぞれ独立しています。軟座車は4人がけのボックス席で、間にテーブルが付いています。車内は日本の新幹線100系なみにゆったりとしています。もちろん冷暖房完備で、一部の窓の上半分が内側に開くだけで他は固定窓です。1両に1人ずつ女性の乗務員が乗車していて、やかんを持ってお茶のサービスや、掛け軸の販売に忙しく動き回っています。
軟座車2階席 やかんを持った乗務員がお湯を配る | 1階席では掛け軸の販売 |
日本と違ってホームが低いため、出入り口の扉は1階部分に設けられています。また、1階席もJRの車両のように窓からホームの乗客の靴を眺めることはなく、半地下のようなうっとうしさはありません。
南京に到着
こうして、無錫からノンストップの2時間で南京に到着しました。列車は次の南京西まで行きますが、大半の乗客はここで下車します。南京は江蘇省の省都、人口500万人をこえる大都市です。3本の幹線鉄道が交差し、長江(揚子江)に南京長江大橋がかかる交通の要衝でもあります。
南京に到着した列車 | ホテルの部屋から見た交差点のロータリー |
宿泊したのは外資と合弁の高層ホテルです。周囲は南京一の繁華街とはいうものの、夜は暗くて周囲の散策もできませんでした。
このツアーは、南京の旅行社が計画して名鉄観光に売り込んだものです。南京では、旅行社の副社長も同席して、南京ダックのフルコースとなりました。北京ダックは皮だけを食べますが、南京ダックは内臓まで全てを調理します。実に美味でした。この副社長は生まれが和歌山だそうで、中学生の時に終戦を迎えて中国に引き揚げてから医者をしていたそうですが、日本語が話せることから日中国交回復以後、政府から旅行社に勤務することを命ぜられたそうです。職業選択の自由のない時代の話です。
侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館
南京は中国近代史の中で重要なところであり、日本とも不幸な関係のあるところです。1911年にはじまる辛亥革命では、孫文らが中心となって清朝をたおし、中華民国の臨時政府を南京に樹立しました。日中戦争の最中、1937年12月に中華民国の首都南京を占領した日本軍が無差別に行った南京大虐殺では、軍人・捕虜・一般市民など、犠牲者は数万人とする説から東京裁判の43万人とする説までありますが、中国では30万人と推定しています。
南京市の西の郊外に、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館があります。もちろん、日本人向の観光コースには入っていませんが、事前にガイドに見学したいと申し入れたところ、副社長の了解を取って翌日に案内してくれることになりました。
紀念館の入り口 | 外壁には当時の様子が彫られている |
他のツアー客より1時間早く、ガイドと一緒にタクシーでホテルを出発しました。市中、至る所で蛮行は行われたそうですが、紀念館のある場所は特に多くの遺骨が出てきたところだそうです。館内は撮影禁止のため、周辺だけお目にかけます。外壁には当時の様子が彫られています。
日本語の説明 | 紀念館の工事で出てきた遺骨の展示 |