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NSW鉄道博物館のディーゼル機関車

40型は、NSW州営鉄道で最初の本線用電気式ディーゼル機関車。カナダ製で、米国アルコのRSC-3をモデルに、1951年から1952にモントリオール機関車工場で20両製造。シドニーから幹線の重量貨物列車に充当。トップナンバーの4001号機は、1954年には英国エリザベス女王の訪問時のロイヤルトレインを牽引時に緑から青に塗り替え。出力1230kW、最高速度121km/h。1968年から1971年に引退。

▲ 電気式ディーゼル機関車4001号

42型は、NSW州のクライドエンジニアリング製の国産電気式ディーゼル機関車。1955年から1956年に6両が就役して、シドニーとメルボルンやブリスベンなどを結ぶ旅客列車を牽引。新型機の登場により貨物用に転用。出力1193kW、最高速度114km/h。1983年に引退後に4両が保存され、4201号と4204号は動態保存。

▲ 電気式ディーゼル機関車4201号

流線型車体の後部は切妻。ヘッドライトと窓にワイパーがあるので、こちら側にも運転台を設置しているようです。

▲ 電気式ディーゼル機関車4201号の連結面

43型は、米国アルコ-GEの設計でゴニナン製の国産電気式ディーゼル機関車。1956年から1957年に6両が就役して、シドニーから西へ、オレンジ方面への急行を牽引。この西部幹線が電化されると北部に転じ、1979年に引退。出力1190kW、最高速度114km/h。保存機は、この4306号のみ。

▲電気式ディーゼル機関車4306号

442型は国産電気式ディーゼル機関車。アルコのDL500G型をモデルに、AEグッドウインとコモンウエルスエンジニアリングが製造して、1970年から1973年に40両が就役。40型と交代して、NSW州内の主要な旅客列車や貨物列車を牽引。出力1490kW、最高速度120km/h。44211号機は1998年に引退して博物館入り。自動連結器の回りに装備しているのは、連結相手のバッファーを受ける部分でしょうか。

▲ 電気式ディーゼル機関車44211号

凸型センターキャブの79型は、米国GE製の電気式ディーゼル機関車。第二次世界大戦中の1943年製造で、シドニーの軍需工場で使用するために米軍から4両の供給を受けた、米国陸軍標準設計機。戦後はシドニー中央駅とエヴェリー工場で入れ替え機として使用。出力260kW、最高速度56km/h。7921号機は1980年代初頭に引退して博物館入り。 軌間は異なるけど、戦後に米軍が日本に持ち込み、国鉄に引き継がれたDD12によく似ています。

▲ 電気式ディーゼル機関車7921号

グレート・トレイン・ホールの外にディーゼル機関車がいます。ナンバーが判読できるのは4501、4803、4833、4916で、いずれも博物館列車を牽引する動態保存機と思われます。

45型は、米国アルコのDL541型をモデルにライセンシーであるAEグッドウインが製造した国産電気式ディーゼル機関車。1962年から1964年に40両が就役。出力1340kW、最高速度120km/h。

48型は、アルコのDL531型をモデルにAEグッドウインが製造した国産電気式ディーゼル機関車。1959年から1970年に165両が就役。出力1340kW、最高速度120km/h。

49型は、米国EMD(エレクトロ・モーティブ・ディーゼル)のG8C型をモデルにクライドエンジニアリングが製造した国産電気式ディーゼル機関車。1960年から1964年に18両が就役。出力1340kW、最高速度120km/h。

▲ 動態保存の電気式ディーゼル機関車とステンレスの客車

客車を連結している44型は、米国アルコのDL500B型をモデルにライセンシーであるAEグッドウインが製造した国産電気式ディーゼル機関車。1957年から1967年に100両が就役。出力1340kW、最高速度129km/h。両運転台で、片側の先頭形状は流線型、もう一方は切妻。博物館列車で客車を牽引時には、往路は切妻の面を先頭に走るのでしょう。

▲ 電気式ディーゼル機関車4490号

側線で、貨車を連結しているのは4807号機。ここには、3両の48型動態保存機が所属しているようです。

▲ 電気式ディーゼル機関車4807号

 

NSW鉄道博物館の電気機関車

86型は、この博物館で唯一の電気機関車。1983年から1985年にコモンウエルスエンジニアリングが50両製造。8646号機は1985年製で、モーターや制御機器等は日本から輸出。出力2880kW、最高速度130km/h。客貨両用で、シドニーから西部や北部への幹線で活躍し、1994年まで大陸横断列車インディアンパシフィック号も牽引。電化区間の旅客列車は機関車牽引から電車に置き換えが進み、長距離客車列車や貨物列車もディーゼル機関車の牽引になって2002年に引退。NSW州内で電気機関車の営業列車での運行が終了しました。8646号機を含め6両が静態保存され、シドニー・エレクトリック・トレイン・ソサエティーが所有する8606号機は動態保存されているのだとか。

▲ 電気機関車8646号

 

NSW鉄道博物館の客車

3軸ボギー台車を履き“ヤンキースペシャル”と呼ばれた、オープンデッキの優雅なダブルルーフの木造客車FZ909号は、1883年に寝台車としてアメリカから輸入。後にコミッショナーの州内視察に使用され、最終的には蒸気機関車の機関士を目指す研修生に、ウェスティングハウスのエアブレーキを管理する方法を教えるための教習車に改造。車内に設置した、長い編成のブレーキシステムをシミュレートする装置で、障害事例を設定してトラブルシューティングの研修を実施できるようになっていて、機関士の養成所が設置されているデポを巡回していました。

▲ オープンデッキの木造客車ヤンキースペシャル

▲ 車内にはブレーキシステムのシミュレーション機器が並ぶ

4軸の古典的な木造客車W880号は、1869年の英国製。シドニーの西の山岳地帯、ブルーマウンテンズへの路線の延長に際して用意した1等車。当時の車両としては長い台枠で、急曲線に対応する8輪ラジアルキャリッジを採用。

▲4軸車W880号

19世紀後半のアメリカンスタイルのボギー車LFA153号は、1890年製の国産車。木製の台枠に木造車体でオープンデッキ。製造時は1等車で、1905年以降は2等車となり、シドニー郊外の路線で運用。

▲ 木造ボギー車LFA153号

LFA153号の車内は、トイレのない片側のデッキ付近がロングシートで、他は転換式のクロスシート。オーストラリアの車両では、転換式座席の背ずりのクッションは片側だけで、転換時には背ずりの向きを変えるときには、その上端が座面に接する位置にぐるっと回転する構造。21世紀の新車で、背ずりの両面にクッションがある日本と同じ方式に変更されるまで、一部の例外を除いて長期にわたってこの構造が続いてきました。

▲LFA153号の車内

木造ボギー車BX1142号は、1891年にリッチーブラザーズ社が製造した急行列車用の1等車。台枠は鋼鉄製。車内には廊下はなく、6室ある8人用コンパートメントには、それぞれ各室にあるドアを開けて乗車します。コンパートメントは1室あたりドアも含め窓3つ分。その間にある磨りガラスの窓の部分はトイレと洗面所で、コンパートメント内からその入口にある1席をリフトアップして、ドアを開けて入る構造。

▲ 木造ボギーの1等車BX1142号

片側がオープンデッキ、他端がフラットな2枚窓の木造ボギー車CCA1273号は、クライドエンジニアリング社が1907年から1910年に製造した、シドニー郊外の列車に使用するエンドプラットフォームカー(編成の端に連結する車両のことかなと推測します)。車端部のGUARD表記のある部分にはハンドブレーキを装備。

▲ 木造ボギー車CCA1273号

車内は1等、2等とそれぞれの喫煙、禁煙の4室に分かれています。写真は、2等禁煙室で、転換式クロスシートを装備。1等も、部屋が狭く座席の転換ができないけど、座席自体は2等と同じものに見えます。

▲ CCA1273号の2等禁煙室

HFO1665号は1911年製、車内はボックスシートの2等車。上と同じシドニー郊外で運行する客車編成で、車端部にはハンドブレーキを装備するブレーキコンパートメントを設置。1974年に引退。

▲ LUB型シドニーの郊外列車の編成

同じ編成の中間車は、両端がオープンデッキ。

▲ シドニーの郊外列車の編成

2等と荷物の合造で、木造ボギー緩急車LGH20628は、1915〜1922年に製造された160両の中の1両。一端に2等の客室と洗面所、中央の大部分は荷物室、他端にハンドブレーキ等を装備。乗客数の少ない路線で、貨物列車の最後尾に1両連結して、混合列車として運行したのだとか。

▲ 荷物と合造の緩急車LGH20628号

高級感を漂わせる丸屋根で3軸ボギー台車を履いた木造車SG600号。NSW州知事が視察旅行等に使用するため1911年に製造。車内には寝室3室と浴室2室、ゲストやスタッフの宿泊室、食堂、および展望ラウンジを備えていて、1981年に引退。

▲ SG600号

▲ SG600号の食堂

▲ SG600号の寝台

SG600の隣に連結された車両を撮り忘れて、こんな連結面の写真だけになってしまったけれど、右側のオープンデッキで3軸ボギーの木造車、PAM11号は1920年製のNSW州の首相用の客車。車内には、同行する大臣の部屋も設けられ、第二次世界大戦中は連合軍のマッカーサー将軍、1954年には英国のエリザベス女王も乗車し、1970年代後半に引退。

▲ 右がPAM11号

PAM11号と連結した、片側のオープンデッキに貫通幌を装備した木造車AAH19号は、1919年製の鉄道委員会のコミッショナー用の車両。車内はコミッショナーのプライベートスペースとスタッフの宿泊設備、会議室とサロンがあり、浴室用の給湯器やガス冷蔵庫も装備。1963年に、3軸ボギーから新型のボギー台車に換装し、自動連結器の取り付けやエアコン設置等の改装が行われました。

▲ AAH19号

FIRSTと表記したオープンデッキで優美なスタイル、ダブルルーフの木造客車ABX1007号は、1899年にプルマンタイプの寝台車として製造され、1920年代までシドニーとメルボルンやブリスベン間の急行列車に使用。1944年に車内の設備を撤去して、手術室、待合室、医療スタッフ用の寝室、居間、調理および洗浄設備を設置して、移動式医療車に改装。

▲ もとはプルマンタイプの寝台車ABX1007号

1975年の引退後に医療器具は撤去され、車内には椅子が並べてあるものの寝台は復元されていません。

▲ ABX1007号

幕板にSLEEPINGの標記のある、3軸ボギーの幹線用木造寝台車、EAM1829号は1913年製。高速道路や飛行機の無い時代に、最初に導入された標準的な夜行列車の寝台車。メルボルンリミテッドエキスプレスなど長距離夜行列車に、51両の同型車が1955〜1965年ごろまで運行。1978年に引退。

▲ TAM1829号

車内は片側廊下で、中央出入口部分で廊下と寝室が入れ替わる、点対称の配置。

▲ TAM1829号の廊下

個室の内部は2段寝台。上段は昼間は壁に折りたたむ構造。

▲ TAM1829号の個室

KAM508号は1938年製の木造車。幹線用豪華寝台車中央1個所のドアの両側に2室と3室の1両にわずか5室の2段寝台。一般のTAM129号などに比べ倍の広さの個室があり、1両で10名の寝台。前後両方の連結面側には広いオープンサロンを設置。同型車は3両あり、1962年までメルボルンリミテッドエキスプレスに連結。1978年に引退。

▲ KAM508号

KAM508号の台枠と3軸ボギー台車。

▲ 3軸ボギー台車

鋼製車体の食堂車、RS1962号は1965年製。車内は、厨房に面した長いオープンカウンターに、27席の固定された丸椅子を並べたビュッフェ式。同型車のうち8両は、1970〜1980年代に通常のテーブルで48席の食堂車に改造。

RS1962号とKAM508号の間に、木造の食堂車らしき客車が連結されていたけど、写真を撮り忘れたようです。

▲ ビュッフェ式食堂車RS1962

ターンテーブルの向こうに、博物館列車に使用する動態保存の鋼製客車の編成が並んでいます。いずれも、幕板にSECONDと標記した2等車。

▲ 奥に並ぶ客車は2等車

現行の大陸横断鉄道、インデアンパシフィック号にも使用されていそうなステンレス車体の客車編成。貫通路も窓もなく、換気用のルーバーのあるこの車両は何でしょうか。電源車?荷物車? その向こうの茶色の鋼製車は食堂車。

▲ 電源車?荷物車?

幕板にDINING CARの標記がある食堂車。

▲ ステンレス車体の食堂車

幕板にSLEEPINGの標記がある寝台車。

▲ ステンレス車体の寝台車

左の3軸ボギー客車は1等座席車かなと思いますが未確認。右には、レストア待ちの2軸客車らしきものも。

▲ その他の客車


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