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ロープウェーでレノンの町へ

イタリア4日目は、午後の列車でトレントに途中下車して、ヴェローナまで移動です。午前中はロープウェーに乗って、ボルツァーノ近郊のレノンの街へ。一昨日に買った3日間用のモビルカードが使えます。

▲ ロープウェーから見たボルツァーノ駅

ロープウェー乗り場は駅の近く。出発すると駅が、ボルツァーノの街が小さくなっていき、一気に1000m上昇したあとは、緑の高原をほぼ水平に移動。

▲ 眼下にボルツァーノ市内が広がる

▲ 登りつめた後はほぼ水平移動

ロープウェーが到着するのは、レノン鉄道のソプラボルツァーノ駅前。

▲ ソプラ・ボルツァーノに到着

 

レノン鉄道ソプラボルツァーノ駅

今では高原のほぼ平坦な路線を走る、メーターゲージのレノン鉄道(Ferrovia del Renon イタリア語)は、リッテンバーン(Rittnerbahn ドイツ語でリッテン鉄道)としてオーストリアハンガリー帝国の時代の1907年に開業。当時の始発は、ボルツァーノの中心ヴァルター広場で、市内の路面電車と線路を共用してボルツアーの駅へ、その先は急勾配区間となり、1000m登ってレノン高原のマリア・ヒンメルファルト(イタリア語ではマリア・アッシュンタ)に到達。この急勾配区間にはラックレールが施設されて、電車の後ろにラック式の電気機関車を連結して押し上げ、その先、クローベンシュテイン(イタリア語ではコッラルボ)までの平坦区間は電車が自走したのだとか。この鉄道では、今もドイツ語とイタリア語の駅名が併記されているが、以下はイタリア語で記載することに。

イタリア時代の1966年に、ラックレール区間を廃止してロープウェーに転換し、高原に残ったマリア・アッシュンタとコッラルボ間6.6kmを、この地方の私鉄路線やバス、イタリア鉄道のローカル列車を運行する鉄道会社Societá Automobilistica Dolomiti(SAD)によって現在も営業中。

▲ レノン鉄道ソプラボルツァーノ駅

ロープウエーが接続するのは、マリア・アッシュンタから1.1km、次の駅のソプラボルツァーノ。この間は1日4往復が運行するのみ。ソプラボルツァーノとコッラルボ間5.5kmは朝と夜は40分〜1時間間隔で1編成で運行。昼間は2編成が運用に入り、30分間隔に増発。

ソプラボルツァーノ駅には車庫があり、その前に正面が札幌市電のような曲面ガラス1枚窓でマルーンの塗色、側面がグレーのMcTc2両編成24号がパンタをあげて待機中。Mcは運転室の後ろに荷物室を有する、日本のJRでいえばクモハニ24、Tcはクハ24。スイスのザンクトガレンを走るトロゲネル鉄道から譲受した中古車らしい。

▲ 車庫前に24号が待機中

車庫はガラス扉で、中までよく見えます。外から覗いてみると奥に1両、木造電車がいるけどその前にも1両入庫。ガイドブックによると、午前中に木造電車が運行するとなっているけれど、この状態じゃ出せないので無理かな。

▲ ガラス扉を通して車庫内が見え木造電車の姿が

コッラルボから21号の2連が到着。乗客を降ろすと、車庫のガラス戸が開いて入庫。急いで駆け付け、車庫の係員に木造電車を撮らせてとお願いして中に入れてもらった。

▲ 21号の入庫で車庫の扉が開いた

狭いところに押し込められている木造電車105号は、ネットで調べると1907年開業時の車両ではなく、ボルツァーノの南西にあった、トレントから延びるローカル線に接続して1909年に開業し、1934年に廃止された Dermulo-Fondo-Mendola 鉄道が1910年に製造した車両を、1937年に譲り受けたらしい。

▲ 車庫内の木造電車

▲ 21号と木造電車105号の並び

木造電車の手前に入庫していたのは、番号が書かれていない路面電車タイプの車両。南ドイツ、シュツットガルトに近いエスリンゲンの中古車で、1958年製とのこと。2基のパンタグラフの片方だけを上げている。

▲ 木造電車の前にこの車両

その隣には、21号や24号の同型車が整備中。このオレンジとクリーム色が、トロゲネル鉄道の塗色で、その後同型が2編成、22号と23号としてデビューしたらしい。

▲ 改修工事中の2両編成

車庫の職員に礼を言って出ようとしたら、10時10分発の列車(2020年現在で微妙に時刻が変更されています)に木造電車が入るよと教えてくれた。なんだ、無理をして狭いところで撮ることもなかった。朝の1編成から昼間の2編成に増えるところで、木造電車が運用に入るようです。

 

レノン鉄道に乗車

車庫前で待機していた24号がホームに横付け。時間があるので、9時40分発のこの列車でコッラルボまで先行することに。車内は通路を挟んで4人のボックス席と2人のボックス席。

▲ 制御車24号の車内

隣の電動車から吊りかけモーター音が響いてくる、制御車24号の運転席。1975年製なので、機器類はアナログです。

▲ 制御車24号の運転席

ソプラボルツァーノからコッラルボまで、両端を含め9駅。時刻表に掲載されているのは5駅で、残りの4駅はリクエストストップらしく、乗降客がいないと通過します。

▲ 小さな中間駅

5月初めのレノン高原は桜の季節。前方にはドロミテの岩山が見えてきます。

▲ 満開の桜の向こうにドロミテの岩山

沿線には牧場もあって長閑な車窓。

▲ 長閑な車窓

▲ もうすぐ終点

ソプラボルツァーノから16分で、終点のコッラルボに到着。

▲ コッラルボ駅

▲ コッラルボ駅舎

駅の先には2棟4線の車庫があり、扉は閉まっていて隙間からも中は覗けないので諦めたけれど、帰国後に調べてみると1907年レノン鉄道開業時の木造の2軸の電車2両と木造のボギー車1両、それにラック式の木造のB型電気機関車を1両保有しているらしく、この車庫に保存されていたのかもしれません。

▲ 駅の奥に2棟の車庫

駅から30分ほど歩くと、ピラミデ・ディ・テッラと呼ばれる三角錐の土柱が林立する名所があり、ボルツァーノから登って来るバス路線もあるので、行くつもりだったけれど、次が木造電車と聞いて予定を変更。

▲ 陸橋から見たコッラルボ駅

3日間乗り放題のモビルカードを持っているので、24号に乗って1駅戻り、Wedacher で出迎えることに。

▲ 帰りの電車は空いている

Wedacher 駅はリクエストトップらしく、車内にそれらしき押しボタンはあるけど、あらかじめ車掌に下車することを伝えておきます。

▲ Weidacher 駅で下車

 

レノン鉄道の木造電車

Wedacher 駅の前は牧場。2駅先のステッラで交換してくる列車を待つ間、田舎の香水の臭いが周囲に漂います。

▲ 木造電車がやってきた

きたきた、満開の桜の向こうから木造電車105号が姿を現し、我々を見つけて停車。

▲ 我々を見つけて停車

車内に消火器の位置等を示す配置図が掲げられているけど、ちょっと違う。前後の運転席横の折り戸から上下車し、真ん中の使っていない引き戸と半分の幅の窓の部分が荷物室らしく、コッラルボ側の窓3つ半の4人がけ(半分のサイズの窓部分は2人)ボックスシートはもと2等室、ソプラボルツァーノ側の柱の幅が広い窓2つは、通路を挟んで4人と2人のボックスシートで、もと1等室かなと想像します。

▲ 車内の配置図は実物とちょっと違う

今はモノクラスだけれど、もと2等室でしょうか。

▲ 4人がけのボックスシート

こちらはもと1等室かも。

▲ 幅広で4人と2人のボックスシート

運転室には、左に大きな直接制御器が横向きに設置。右にも制御器のようなものがあるけど、これはブレーキ。その手前のハンドルはハンドブレーキ

窓上のメーターは、右が電流計。左は0を指している圧力計で、単位がctm(センチメートル?)、最大目盛りが76なので、76cmHgを表しているのであれば、エアブレーキではなく真空ブレーキを採用しているのかもしれません。

▲ 木造電車の運転室

下車した乗客はピラミデ・ディ・テッラに向かったようで、木造電車は駅に帰ってきた数少ない観光客の被写体に。

▲ 観光客の被写体に

▲ コッラルボ側の正面に梯子

▲ 満開の桜とドロミテの岩山を背に発車待ち

折り返しでソプラボルツアーノに向けて発車。圧力計は50を指しています。

▲ 左手に制御器 右手にブレーキ

窓柱に付いた、運転士が親指でノブを押さえているものは警笛。配管は上に伸びていて、屋根上にはラッパ。

▲ 警笛は右手の親指で押す

▲ 車内の乗客

前日に比べると雲が多いものの、レノン高原の車窓は秀逸です。

▲ 木造電車の車窓

ステッラ駅で24号と交換。

▲ 24号と交換

▲ ステッラ駅で並ぶ

ソプラボルツァーノに戻ってくると、ロープウェーで上がってきた大勢の乗客が待っています。この日は5月1日、メーデーの祝日。

▲ ソプラボルツァーノに戻ってきた

1両では収容力が不足するのか、木造電車は1往復しただけでもう入庫。

▲ 木造電車はもう入庫

次は、外で待機していたドイツの中古路面電車が運用に入るのかと思ったら、

▲ 路面電車タイプの車両

21号が出庫してきた。

▲ 21号が出庫

乗客が増えてきたのでさばききれないのか、この後は2両編成が2本の運用となるようです。

▲ ソプラボルツァーノ駅に入線