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イタリア5日目は、ヴェローナの観光後にボローニャで途中下車して、フィレンツェまで移動です。ヴェローナ・ポルタ・ヌオヴァ駅は、旧市街の南側。駅前からタクシーで旧市街の外、北側の高台にあるサン・ピエトロ城まで上り、徒歩で旧市街を抜けて駅に戻る計画を立てたけど、雨上がりのためかタクシー乗り場は長蛇の列で、タクシーもなかなか来ない。
▲ ヴェローナ・ポルタ・ヌオヴァ駅
やむなく、旧市街に行くバスに変更して、ブラ門で城壁をくぐった先のブラ広場で下車。
▲ 旧市街の城壁をくぐったでブラ広場で下車
広場に面して建つギリシャ神殿風の立派な建物は、ヴェローナの市庁舎。
▲ ヴェローナ市庁舎
その隣には、古代ローマの円形闘技場アレーナ。長径139m、短径110mの楕円形で、ローマのコロッセオに比べると規模は小さいものの、築2000年にしては保存状態も良く、夏には屋外オペラも上演される現役の施設。
▲ 円形闘技場アレーナ・ディ・ヴェローナ
オフシーズンとはいえ、ここまで来ると多くの団体客を見かけるようになるけど、日本人の場合はゴールデンウイークだから高額の旅費を払える方々でしょう。そういえば、四半世紀前にイタリア周遊9日間の安いパックツアーで初ヨーロッパ、観光バスでミラノからここアレーナにちょっとだけ立ち寄り、ジュリエットの家を見てからベネチアに向かって以来のヴェローナ訪問です。
▲ ジュリエットの家の入口
英国の劇作家、シェークスピアが書いた恋愛悲劇“ロミオとジュリエット”(イタリア語ではロメオとジュリエッタ)の舞台は14世紀のヴェローナ。アレーナの横から賑やかなマッツィーニ通りを進み、角を曲がった先で旗を持った添乗員が入っていくのが、ジュリエットが住んでいたことになっている家。ジュリエット像は、映画のようなバルコニーではなく中庭に立っていて、おっぱいに触ると幸せや富と名誉が得られるとかで、多くの観光客に磨かれて胸はピッカピカ。
▲ ジュリエットの像と大理石のバルコニー
旧市街の中心に白いテントの露店が並ぶのは、古代ローマ時代からの歴史があるエルベ広場。細長い広場の入口には、700年前からここに立つ市場の塔。
▲ エルベ広場の市場の柱
広場の真ん中付近で、子供達が遊んでいるこの小さな祠のような建物は、700年前のさらし台なのだとか。
▲ 中世の晒し台
広場に面した12世紀の旧市庁舎。ラジョーネ宮に立つ高さ84mのランベルティの塔。12世紀後半の建設で15世紀に修復、時計が取り付けられたのは18世紀後半のことだとか。
▲ ランベルティの塔
広場を先に進むと、ヴェローナのマドンナの噴水。14世紀につくられたものだけど、中央に立つマドンナは4世紀、古代ローマ時代の彫像を他から運んできたそうで、こんな時代からリサイクルがが行われていたんですね。
▲ ヴェローナのマドンナの噴水
広場の奥に建つマッフェイ宮殿は17世紀のバロック様式。ここは古代ローマ時代に神殿があった場所だそうで、屋上にはアポロやミネルヴァをはじめとするローマ神話の神々の姿。隣にはガルデッロ塔。手前の円柱の上には、15世紀から18世紀までヴェローナを統治したヴェネチア共和国のシンボル、サンマルコの有翼の獅子像。
▲ マッフェイ宮とカルデッロ塔 手前にサン・マルコの獅子が乗る円柱
ラジョーネ宮の裏には、優美な建物に取り囲まれたシニョーリ広場。中央にはダンテ像。背後には、アーチが美しいコンシリオの回廊。
▲ シニョーリ広場のダンテ像
隣接して、13世紀半ばから14世紀にヴェローナを統治したスカラ家の宮殿、ポデスタ宮。
▲ ・コンシーリョの回廊(左)とスカラ家の宮殿(右)
旧市庁舎、ラジョーネ宮の中庭には、こんな優美な大理石の階段が。
▲ ラジョーネ館の内側とランベルティの塔
シニョーリ広場を抜けた所にスカラ家の廟。街の真ん中で、お墓に石棺が乗っています。
▲ スカラ家の廟
廟の先、14世紀の煉瓦造りの建物が、モンテッキ家の邸宅。ロミオもその一員であったことから、ロミオの家とされています。
▲ 古い煉瓦造りのロミオの家
ヴェローナで一番大きな教会は、ドゥオーモではなくこのサンタナスターシア教会。13世紀末に建て始めて15世紀後半に出来上がったけど、正面の上半分は表面に飾りの煉瓦がなく、未完成のままで500年以上が経過しているのだとか。シニョーリ広場のすぐ先だけど、団体客が来ないので、急に静かになります。
▲ サンタナスターシア教会
正面入口の上にはフレスコ画が残り、その右には聖ピエトロの生涯を描いたレリーフ。
▲ 聖ピエトロの生涯を描いたレリーフ
内部は3身廊の構成。
▲ 3身廊の教会内部
色大理石で模様をつくった床と、赤大理石の柱の下で背中で水盤を支える2人の男。
▲ 水盤を支える2人の男と色大理石の床
柱のもとに聖母子像。
▲ 聖母子像
礼拝堂の、聖母子のフレスコ画。
▲ 聖母子のフレスコ画
側面には礼拝堂が並ぶ。
▲ それぞれの礼拝堂にフレスコ画
ガイドブックによると、これが有名なフレスコ画“聖ゲオルギウスと王女”らしい。
▲ 聖ゲオロギウスと王女のフレスコ画
ドゥオーモに向かう道で振り返ると、サンタナスターシア教会の後陣の側に建つスマートな鐘楼の姿。
▲ サンタナスターシア教会の鐘楼
ヴェローナで一番古いカトリックの教会といわれている大聖堂、ドゥオーモ。12世紀の建築だが、ここは初期キリスト教時代にバジリカがあった場所だとか。
▲ ドゥオーモ
正面入口はボルツァーノのドゥオーモと同様に、両側で12世紀のライオンが支える柱廊玄関。天使のブロンズ像は後世のものでしょう。
▲ 柱を支えるライオン像とブロンズの天使
ドゥオーモのすぐ裏を、大きく湾曲して流れるアディジェ川。対岸の丘の上には、サン・ピエトロ城。
▲ 丘の上のサン・ピエトロ城
その崖下には、ローマ時代の劇場の遺跡。
▲ 崖下にローマ劇場
対岸へはこんなアーチをくぐって、石積みのピエトラ橋を渡ります。
▲ アーチをくぐるとピエトラ橋
橋の上から旧市街に目を向ければ、サンタナスターシア教会の鐘楼。
▲ ピエトラ橋でアディジェ川を渡る
橋の上から見上げる、対岸にあるもう一つの丘の上の丸い建物は、直訳するとルルドの聖母の聖域。四半世紀前にツアーバスでここまで登ったようで、ヴェローナの街の全景を写した写真が残っているけど、今回は残念ながらもう時間切れ。
▲ 丘の上にルルドの聖母の聖域
この場所に木の橋が架けられたのは紀元前1世紀までさかのぼり、橋の左側の一部は古代ローマ時代に石橋に架け替えた当時のものが残り、右側は13世紀末、中央部分は16世紀の再建部分のため色が異なるのでしょう。第二次世界大戦で被災し、川に崩落した石材を拾い集めて戦後に再建したのが今の姿。
▲ 2千数百年の歴史があるピエトロ橋
ピエトラ橋のたもとの停留所から、バスに乗ってヴェローナ・ポルタ・ヌオヴァ駅に戻ります。駅前バスターミナル到着前に、車窓に見えたポルタ・ヌオヴァ。ヴェローナの入口の“新しい門”という意味だけど16世紀の建築で、古代ローマからの歴史のある街では築500年ならまだ新しいのでしょう。
▲ 車窓のヌオヴァ門
▲ ポルタ・ヌオヴァ駅前のバスターミナル
ホテルから荷物をピックアップして、駅の券売機でボローニャまでのチケットを買い、ホームに上がると向かい側にドイツのミュンヘン行きユーロシティーが発車を待っています。4日前にミュンヘンからボルツァーノまで乗ったのと同じ、オーストリア連邦鉄道の電気機関車と客車の編成。ボローニャまで乗車する快速RVは、右側の奥に見えるプッシュプルの緑の客車列車。
▲ ミュンヘン行きユーロシティー
ユーロシティーの編成には、食堂車も組み込まれています。4日前に乗ったユーロシティーには連結していなくて、夕食を食べそこなったのは何だったのでしょう。
▲ 食堂車を連結している
側線には、E412型電気機関車の牽く貨物列車。
▲ 側線にE412型の牽く貨物列車
落書きだらけのE652型の姿も。
▲ E652型電気機関車
少し前まで、イタリアの非電化ローカル線の主役だったALn668型ディーゼルカー。JRのキハ40相当のこの車両も、部分低床の連接ディーゼルカーに置き換えられ、急激に数を減らしています。
▲ ALn668型ディーゼルカー
途中駅で見かけたALn668型。乗降扉が中央に隣接して2個所が一般的だけど、離れて2個所のタイプもあるようです。
▲ ALn668型ディーゼルカー 2両でドアの位置が異なる
ボローニャ中央駅に到着。これは乗ってきた快速RVではなく、向かいのホームにいたインターシティー。一瞬、ドイツから乗り入れ? と思ったけど、イタリア鉄道のインターシティーも、緑色からドイツ鉄道によく似た白に赤帯に。ドアを赤く塗っているところが違いますね。