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旅の車窓から

イタリア トリエステ・ヴェネツィア・パドバ

クロアチア・スロベニア・北東イタリア鉄道の旅 クロアチアのザグレブからスロベニアのリュブリャナ、コペルを経てイストラ半島のアドリア海沿岸を巡り、イタリアのトリエステへ。ヴェネツィアからパドヴァ、ビチェンツァ、パッサーノなどを巡る鉄道の旅にご案内します。


クロアチア・スロベニア・北東イタリアの旅

2016年のゴールデンウイークにカタール航空で、成田→ザグレブ、ヴェネツィア→成田のチケットを確保し、クロアチア、スロベニア、イタリアの3か国を巡る旅に出ました。クロアチアの首都ザグレブから列車で国境を越えてスロベニアの首都リュブリャナへ、ノヴァゴリツァを往復後、アドリア海に面したスロベニアのコペルから再び国境を越え、イストラ半島のアドリア海沿いにクロアチアのポレチ、ロビニ、プーラを回り、再びスロベニアのシュコツィアン経由でイタリアのトリエステに抜けました。ヴェネツィアに移動し、ここをベースに周辺の街を巡ります。

スロベニアのシュコツィアンからタクシーで国境を越え、イタリア北東端の街トリエステへ。今では両国ともシェンゲン協定に加盟しているため国境の検問所は無く、運転手に“ここからイタリアだよ”と言われなければわかりません。はるか下に海が見えると、タクシーは急こう配の道を街に向かって下っていき、トリエステ中央駅近くのホテルに横付け。

※ 15ページの末尾にそれぞれリンク先を設けました。詳しく知りたい方はご利用ください。


トリエステ中央駅

地図で見ると、トリエステはイタリア半島の付け根、アドリア海の一番奥まった所にスロベニアに食い込むように、国境近くに位置しています。ここはローマ時代からの歴史のある街。第一次世界大戦まではオーストリア=ハンガリー帝国領で海軍の基地があり、貿易でも重要な港湾都市として、アルプスを越えて首都ウィーンと鉄道で結ばれていました。

第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊するとイタリア領となり、港湾の重要性は低下することに。第二次世界大戦によるイタリアの敗戦後はアドリア海沿いのトリエステからコペル、ピランを経てイストラ半島につながる沿岸地域が国連の管理下に置かれ、1954年にトリエステまでイタリアに、その南側はユーゴスラビアに分割されました。ユーゴスラビアになった南部は、スロベニアとクロアチアの独立時にさらに分割されるという複雑な歴史を経ています。

翌日は午後の列車でヴェネツィアに向かうので、下見を兼ねてあらかじめチケットを買いにトリエステ中央駅へ。

▲ トリエステ中央駅の券売機

イタリア鉄道の線路はトリエステ中央駅で行き止まり。石造りの立派な駅舎の中に乗客は少なく、切符売り場も閑散としています。イタリアはドイツのような、窓口で買うと手数料の上乗せはないので、カウンターで翌日のヴェネツィアまでの快速のチケットを購入。

▲ トリエステ中央駅の切符売り場

ちょうどお昼時。駅舎内にバールを見つけ、ここで昼食にすることに。

▲ 駅構内のバールで昼食

食後に頭端式のホームに出てみると、ミラノに向かうフレッチャビアンカやベネツィア方面の片運転台の電気機関車プッシュプルの客車列車、ウーディネ方面の3車体連節部分低床車ミヌエットが乗客を待っています。

▲ ミラノ行きのフレッチャビアンカ

▲ E464型電気機関車プッシュプルのローカル列車

▲ 部分低床連節車ミヌエット

 

トリエステ街歩き

午後はトリエステの街歩き。中央駅から市街地に向かう通りには石造りの立派な建物が立ち並び、第一次世界大戦から一世紀を経ても、ここはローマやミラノよりウィーンに近い雰囲気。

▲ ミニウイーンのような

▲ 石造りの建物が立ち並ぶ市街地

港から切れ込んだカナル・グランデ(大運河)の奥に、サン・アントニオ・ヌオヴォ教会。すぐ横にセルビア正教会が建っているのは、この地の複雑な歴史を表しているよう。

▲ サン・アントニオ・ヌオヴォ教会

▲ セルビア正教会


ローマ劇場とサン・ジュスト大聖堂

市街地のビルの谷間に、いきなり2000年前のローマ劇場が出現。その裏からサン・ジュストの丘に続く石畳の坂道を登ります。これが結構きつい。上まで昇り詰めたらバス停があったので、帰りは売店でチケットを買ってホテルの近くまで乗ったけど、往きに乗れば良かった。

▲ ローマ劇場

▲ 背後から見たローマ劇場

丘の上に建つのがサン・ジュスト大聖堂。堂内は何本もの柱が立ち並ぶ5身廊の構造。この丘はローマ時代の街の中心、神殿があったところに5世紀頃に最初の教会が建てられ、11世紀頃には2つの教会が並んだそうです。14世紀頃に、その2つの教会をまとめて1つの教会にしたもので、中央の身廊はその時に増築した部分。左右の身廊は、それぞれ11世紀頃からの教会を引き継いでいるものなのだとか。

▲ サン・ジュスト大聖堂

▲ 大聖堂の側面

▲ 大聖堂の入り口は鐘楼の横から

▲ 大聖堂内は柱の並ぶ5身廊の構造

中央の後陣のモザイクは20世紀の作品。左右の後陣のモザイクは12〜13世紀のものだそうです。社会科見学の生徒が来ていて、先生が説明の時にコインを入れると、後陣のモザイクが照明で浮かび上がるシステムになっています。一番右の後陣には13世紀のフレスコ画。床の一部には、5世紀のモザイクが残っています。

▲ 中央の身廊 後陣中央には20世紀のモザイク

▲ 12〜13世紀のキリストと聖ジュストと聖セルヴォロのモザイク

▲ 13世紀のフレスコ画

▲ 12〜13世紀の聖母と大天使ミカエルとガブリエルのモザイク

▲ 床には5世紀のモザイクが残る

サン・ジュストの丘からはオレンジ色の屋根瓦が連なるトリエステの街とトリエステ港、その向こうに広がるアドリア海が見渡せます。

▲ サン・ジュストの丘から見下ろすトリエステ港


トリエステの夜

アドリア海に面したトリエステ。夕食は、地元の店でビールとワインにイタリアンのシーフードを満喫。

▲ 夕食はシーフードレストランで

北イタリア東端の人口20万人余りの街トリエステ。昼間歩いた感覚では、この旅行で訪れてきたスロベニアやクロアチアの街と同様に、特に治安の問題は無さそうなので、レストランの帰りにホテルの反対方向へ夜の散策です。

街角に20時過ぎには運行を終了する早仕舞いのトラムが1両、パンタを降ろして留置中。明朝7時の始発便になるまで、眠りについています。

▲ 街角にトラムが顔をのぞかせている

▲ パンタをおろして本日は終業

政府庁舎の建つヴィットリオ・ヴェネト広場から大運河を渡り、

▲ ヴィットリオ・ヴェネト広場と政府庁舎

▲ 港につながる大運河

建物がライトアップされている港に面したウタニ・ディタリア広場へ。19世紀末のオーストリア=ハンガリー帝国時代に整備された広場で、やっぱりウィーンの雰囲気です。

▲ ライトアップされたウニタ・ディタリア広場の荘厳な建物群


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