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トレヴィーゾは、ヴェネツィアの北30kmにあるローマ時代からの記録が残る歴史のある街。14世紀前半にはヴェネツィア共和国に併合されたが、14世紀後半の一時期オーストリアに占領され、ヴェネツィアに返還後に防衛を強化するために整備された城壁の一部が今も残っています。
18世紀末にはナポレオンによるフランスに支配下に入り、その後オーストリア=ハンガリー帝国の領土となり、19世紀半ばにはヴェネツィア共和国に戻ったあとイタリア王国に併合という複雑な歴史があります。第一次、第二次世界大戦では戦場となり、1944年の空襲では旧市街の大半が破壊されたのだとか。
トレヴィーゾ中央駅から旧市街に向かう途中、ロータリーの真ん中には球形のモニュメント。
▲ ロータリーの中心に球形のモニュメント
街中にはドロミテ山塊に源のある、豊かな水をたたえたシーレ川が流れ、そこから街中に引き込んだ狭い運河はヴェネツィアのような佇まい。
▲ シーレ川の豊かな流れ
▲ ヴェネツィアのような水路
旧市街のメインストリートを行くと、正面に街の中心、シニョーリ広場に建つポデスタ宮の時計塔。
▲ 時計塔が見えてきた
▲ シニョーリ広場のポデスタ宮
隣接する三百人館のアーチの中はカフェになり、壁面には羽根のあるヴェネツィアのライオンのプレート。
▲ 三百人館
▲ ヴェネツィアのライオン
その向こう側はインデペンデンツァ広場。これら中世の建物は、第二次世界大戦で被害を受け、戦後の再建だそうです。
▲ インデペンデンツァ広場のテレソナ像
シニョーリ広場から、アーチで囲まれた建物の1階が歩道になった狭い道を行くと、サン・ジョバンニ洗礼堂の鐘楼が見えてきます。隣にはドゥオモ、サン・ピエトロ大聖堂。
▲ 路地の向こうに洗礼堂の鐘楼
▲ サンジョバンニ洗礼堂と大聖堂
6世紀頃に起源があり、何度も再建を繰り返し、18世紀の再建後に19世紀にギリシャ神殿のようなファザードが追加され、現在の姿になったのだとか。階段の両脇にはライオン像。
▲ サン・ピエトロ大聖堂(ドゥオモ)のファザード
▲ 階段脇にライオン像
内部は3身廊の構成で、マルキオストロの礼拝堂にはルネッサンス期の画家、ティツィアーノが描いたフレスコ画。時代からみて、18世紀の再建以前の部分が残っているのでしょうか。
▲ 大聖堂の内部
▲ 主祭壇
▲ マルキオストロの礼拝堂に描かれたフレスコ画
▲ マドンナの礼拝堂のマリア像と宗教画
駅に戻る途中、川の水を引き入れた街を守る堀と中世の城壁が残っています。
▲ 中世の城壁と堀が残っている
トレヴィーゾ中央駅に戻ってきました。券売機でヴェネツィア・メストレまでの切符を購入。
▲ トレヴィーゾ中央駅
▲ 券売機で切符を購入
E464型電気機関車が客車の後押しをして、ヴェネツィア方面のローカル列車が入線。
▲ ヴェネツィア方面ローカル列車
夕刻のためか混みあう車内を通り抜けて、機関車のすぐ前、最後部の客車まで行くと乗客はまばら。いつもの2等のボックスシートと同じだけど、窓際のごみ箱の前に見かけない折り畳み式の小さなテーブルが。
▲ この車両だけ空いていると思い
何か変と思って、一旦ホームに降りて車体を見ると、窓下の緑のラインが切れた部分に“1”の標記が。2等と同じ座席にテーブルを追加しただけの、なんちゃって1等車です。
▲ 一旦降りて確認したら1等車だった
空いている理由がわかりました。前方の2等車に移動して何とか空席を見つけ、ヴェネツィア・メストレまで25分。これでヴェネツィア近郊の小さな街めぐりが終わります。
翌日は午後便で帰国の予定。まだまだ明るいゴールデンウイークの北イタリア。駅からホテルへ帰り道にあったケバブ屋でテイクアウトし、前日の残りのワインで簡単に夕食を済ませ、しばし休憩の後に メストレ駅へ。電車で前日に続いて2回目のヴェネツィア本島のサンタ・ルチア駅に向かいます。
▲ ETR360型のヴェネツィア・サンタ・ルチア行き
▲ 連接車の車内は後方まで全体が見渡せる
▲ サンタルチア駅のローカル列車のホーム
今回は駅前からカナルグランデ、大運河沿いの道を散策することに。運河の支流に架かるグーリエ橋の先の通りには、にぎやかな露店が並びます。
▲ 夕刻のサンタルチア駅前広場と大運河
▲ サン・ジェルミア教会
▲ グーリエ橋
▲ グーリエ橋から大運河方面
▲ 橋のたもとに露店が並ぶ