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ツィッタウに到着

列車はツィッタウ駅に戻ってきました。

▲ ツィッタウ駅が見えてきた

構内のポイントを渡るとき、側線に保存機の姿。

▲ ツィッタウ駅に入線

ホームに停車するとすぐに機関車を切り離し、機回りのためDBの駅前広場まで出てから転線。

▲ 駅前広場に出て機回り

その先の方まで、駅前広場を横断する線路をたどっていくと車庫があり、客車の編成が入庫中。

▲ ツィッタウ狭軌鉄道の車庫

木製の屋根が煤で汚れていないので、ここには蒸気機関車は入線しないのでしょう。

▲ 客車の編成が並ぶ

庫外には、今朝のドレスデンからツィッタウへ、到着時に車窓から見えた3両の客車が留置。

▲ 屋外にも3両


ツィッタウ旧市街散策

ゲルリッツに向かう次の列車までの40分で、ツィッタウ旧市内を散策することに。駅からすぐのところにあったレンガ造りの施設。

▲ 水道関係の施設でしょうか

その後ろに建つ丸い優美な建物は給水塔らしい。

▲ 給水塔

新市街の通り沿い。人口2万5千人ほどの田舎町にしては優美な建物は、東ドイツ時代には繊維産業と褐炭の露天掘りで栄えた名残でしょうか。

▲ 新市街の建物

右側の建物の壁面に大きく描かれた、ツィッタウ狭軌鉄道の列車の絵。この街のシンボルの一つなんでしょうね。

▲ 右の壁にツィッタウ狭軌鉄道の絵

駅から旧市街に向かう通りでは、5月初旬は街路樹の八重桜が満開。

▲ 街路樹の八重桜

旧市街を取り囲む環状道路との交差点に建つ、時計塔のある建物はクリスチャン・ヴァイゼギムナジウム。高校らしい。

▲ 交差点の時計塔

その向かい側にある新ルネッサンス様式の優美な建物は、19世紀末に建てられた郵便局。

▲ 優美な郵便局

旧市街に入ってきたけど、商店の並ぶ繁華街に人を見かけない。

▲ 旧市街の繁華街

旧市街のヨハネス広場に建つ聖ヨハネ教会。歴史は13世紀までさかのぼるものの、今の建物は18世紀の火災後の19世紀前半の再建だとか。

▲ 聖ヨハネ教会

ツィッタウ旧市街の中心は、北から南に傾斜のある、東西に細長いマルクト広場。その西の端にマールズの泉。

▲ マルクト広場のマールズの泉

マルクト広場の東には、19世紀半ばに建てられたネオルネッサンス様式の市庁舎。左の塔は18世紀の火災以前から建っているものらしい。

▲ マルクト広場に建つ市庁舎

市庁舎の入り口の両脇には砂岩を彫った像があり、左は知恵の女神のソフィア、右は正義の女神のテミスだとか 。

▲ 市庁舎の正面

石畳のマルクト広場を取り囲む、歴史的な建造物。1階は店舗だけど、人がいない。

▲ 石畳のマルクト広場

映画館の看板のある18世紀のバロック様式の建物の1階は、広場の外に通り抜けできる構造。

 

▲ 中央に映画館の看板

修道院広場に建つ修道院教会は、今は博物館になっているらしい。残念ながら、見学の時間が取れません。

▲ 修道院教会

修道院の横、緑の公園の向こうにクリスチャン・ヴァイゼギムナジウムの塔。

▲ 修道院教会横の公園


ツィッタウからゲルリッツへ

短時間での旧市街の観光を終え、急いでDBのツィッタウ駅に戻ってきたのに、

▲ DBのツィッタウ駅

乗車予定の、ゲルリッツ方面の列車が来ない。ホームで待っていると発車時刻を15分ほど過ぎて、向こうから黄色いデジロがやってきた。

▲ 折り返しの列車が遅れてきた

正面窓下の行き先表示を見ると、この列車がツィッタウで折り返しのコトブス行きになるらしい。車体側面にはODEGのロゴ。首都ベルリンをはじめ、旧東ドイツ地区でDBのローカル列車を運行する私鉄、東ドイツ鉄道の車両です。

▲ ODEGのコトブス行きが遅れて入線

列車は20分以上遅れてツィッタウを発車。ここでも車窓には菜の花畑。このDBの路線は、ヨーロッパ時刻表の図ではドイツとポーランドの国境線に沿って北へ向かうように描かれているが、国境のナイセ川に架かる鉄橋を3回渡ったので、あとで GoogleMap で確認したところ、ドイツとポーランドを行き来していたことがわかった。

▲ 車窓の菜の花畑

この写真のように、列車の進行方向左川にナイセ川が並行する区間はポーランドで、その区間にある川に接した Krzewina Zgorzelecka 駅はポーランド国内に位置するドイツ鉄道の駅。GoogleMap の航空写真で見ると、駅から橋を渡った西側にドイツのオストリッツの町があり、ポーランド側は駅から遠くにわずかな人家が見られるだけ。

この路線の開通当時はドイツだったナイセ川東岸が、第二次世界大戦のドイツの敗戦でポーランド領になったことにより、何度も国境を跨ぐことになったらしい。

▲ ドイツとポーランドの国境の川のポーランド側を行く

Krzewina Zgorzelecka 駅の利用者の大半はドイツ側の住民と思われ、2007年にポーランドがシェンゲン協定に加盟して国境管理がなくなったけど、それ以前は駅をどう利用していたのでしょうか。ローカル列車で20分余りのツィッタウに行くにも、パスポートを持って一旦ポーランドへ出国手続をしていたのか、興味のあるところです。

この区間は概ね1時間間隔で運行しているので、次回また乗車することがあれば途中下車してオストリッツの町に立ち寄ってみたいが、そんな機会は無いでしょうね。